信じるモノは救われる?
FB(フェイスブック)で、以前から気になっていたこと。
個人とか、企業とか、あとよくわからないが、いろいろなネタを情報提供している人がたくさんいる。
ネタも個人モノから、有名人ネタ、感動ネタ、名言などなど・・・
私は単純だけに「いいね」をついつい押してしまいがちになるが・・・
前から気になったのは、一度見て「いいね」を押したネタが、時間が経過して、別のニュースネタとして再び掲示されている。
その2つに関係があるのか、無いのか。
前にも何処かで見たなぁと最初は思っていた。
どうも、溢れる情報の中から厳選してコピーしているようだ。
多くは盗作だったり偽作なんだそうで、いいねを押した気持ちが残念でたまらない。
「いいね」を押してもらうためにネタを探ししたり、話を捏造することも多いと聞く。
「感動できるなら、いいんじゃないか」とあっさりと開き直る提供側がいて、受け取る側も、いい話なら読みたいと、言っているそうだ。
FBの中で、真偽を見極めることは難しい。
いつもの調子で「いいね」を押すことを躊躇う。
どんな情報でも、引用するなら情報ソース源を掲載する必要があるだろう。
個人・自分が提供するネタしか確実ではないのか?
ということで、ここ1カ月ほどは、まずは自身のネタをと思い、写真や話題をアップすることに心掛けている。
人に「いいね」を押してもらうことで、社会的に認められると勘違いしている人が多くなっているためだろうか?
社会の中で、そんなところに意義を見いだしているのかもしれない。
FBやブログのアクセス数とか「いいね」では、ものごとは評価しずらい。
敢えてそれを促したり、誘導する必要はない。
見たり聞いたりして、いいものはいいし、心動かされるものに感動する。
義理の100万人より、1人の理解者があればいいと思う。
最低でも自身1人はいる。
そう言った後に言うのも何だが、4月上旬に「はてなブログ」に変更して、
随分経ってから、アクセス分析ページを見たら・・・
毎日のアクセス数は異常な数字になっていた。
壊れてんじゃないの???と思うぐらい、3月までの10倍。
月3000件程度のアクセスだったんですが。
前述どおり、アクセス数字自体はどうでもいいんですが、
何故このブログに辿り着いたのか、その理由は気になる。
話も写真もネタとしては他人には面白くないだろうなぁ。
たまたまヒットした可能性は高いが、
私の目的以外の二次的効果として、見る人に価値が認められるならいいんでしょうね。
それにしても、ここ10日間ほど。
花粉症がひどい。
喉痛・頭痛・倦怠感・涙・鼻づまりと鼻水の同居。
ここ25年で最悪かもしれない。
信じるモノは救われて欲しいが、こればかりは一生のつきあいのようで何ともかんとも。