sawadake-Blog -Third Stage-

今年の春から、また2人となりました・・・

気になった言葉

総長や法学部長の言葉の中に今どきの学生についての危惧が垣間見られた。

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☆溢れた情報に埋もれ・踊らせられている。

 常にネット、スマホでいじっている。

 大切な時間を浪費している。

 ただ楽しむだけのゲームからは何も生まれない。

 

☆大きな壁にぶち当たった経験がない

 とても大切に育てられてきた。

 しかし、大きな困難を経験していない。

 さらに、面倒なことはやったことがない。

 想定外の問題にへこたれる、対応できない。

  

☆自由を主張するがそれだけ

 自由の裏には、責任と義務が必要だが、ただただ自由のみを主張する

 責任のない自由の裏には、堕落がある。

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数ヶ月、久しぶりに子供にとことんつきあって、いろいろと学ぶ機会に恵まれた。

学ぶというのは、本当に一生モノなんだと再認識させてもらった。

同時に、早い時期からの目標設定とか、目標を定めたらその行動計画の大切さ、日々の積み重ねが多くを占めていることなども、当たり前なことばかりなのに、何度も痛感させられる。

ただ子供の入学のためだけでなく、私も一緒に学べたことは大きい。

 

 

さて、入学式でいちばん印象に残ったのは、やはり「自由・責任・義務」のくだり。

私たちの仕事や家庭でも、大いに参考となる。

 

今どき、私のまわりで「15の夜」ばりに自由を主張する人はあまり見かけないが、ちょくちょく主のくせに労働を放棄しようとする人はいる。

決まって何故かパチンコや酒やタバコに向かう。

たぶんひとつの逃避行動なんだろうが、責任や義務を果たせていない場合、そのツケは大きく、経済逆効果は計り知れない。

やはり、我々の自由な行動は、責任の上に、義務を果たした上に成りたつようだ。

 

 

自転車やスキーでもそうだ。

家庭や仕事をほっぽり出したり、他人に任せてただ遊ぶわけにはいかない。

熱中していると、周りが見えない場合が多い。

家庭を顧みなければ、そのツケは家族に掛かる。

家庭内のもめごとになったり、子供からも反感を買う。

反抗の大きさもそれのひとつかもしれない。

仕事でも、しわ寄せが誰かに行く。

担当制なら、余分に仕事しておけば済むこともあろうが・・・

いい大人になれば、自分のことを説明する責任がある。

聞いていて、私への戒めのようにも聞こえる。

 

 

家では、なるべく自分から行動するようにしている。

特に家事は、なんでもみんなでやるようにする。

家族で取り組めば子供もいろいろと出来るようになるし、話が弾めば楽しい。

掃除は場所担当制にしたり、洗濯や洗い物もみんなでやる。

 

 

結局、学生への危惧とは、我々親への危惧であり、

親が親として出来ていないことへの警鐘なんだろう。

まだ慣れない3人生活だが、うちでも必要なところは、改め・戒めていかねばならない。